2011年6月29日水曜日

問題とは過ちを犯してしまうことなのか。

中学生の時、国語のテストに出される文章問題が好きでした。
国語は苦手なので、点数は一番低いんですが、出された評論を真剣に読み過ぎたせいでもあります。僕だったらどう考えるだろうとか、この意見はおかしいんじゃないかとか、勝手に妄想していた記憶があります。

その中の一つで、非常に印象にのこっている問題の文章が

「ひとりひとりの過ちは、群体としてはすでに経験済みであるが、その個体にとっては初めてのものなのである」

という一文。なんの評論だったか忘れたけど(ゾウとアリだっけか)こんな感じのことが書かれてた。大人たちは子どもたちのためを思って助言をするが、子どもは聞かない。だって、失敗をしていないのだから、その助言が本当に正しいのかわからないから。
だから、結局人間というのは、先祖がしてきた過ちを繰り返していくのだ。

的な。感じのことを言ってた。なんでこの文章が印象に残っているかというと、

・たしかに人間全体をみれば、だいたいの過ちは経験済みなんだって知ったから
・過ちだとわかってるのに、そう言われても逆に反発して言う事きかない自分がいること
・だけど、そもそも、それが過ちかどうかは個人としてはわからないということ

個人としての経験、群体としての経験という視点がその当時の僕にはとてもとても新鮮だったからなんだ。結局は経験して初めて知ることが世の中にはあるんだと言う事を知ったからなんだ。
それは今でも変わってなくて、人に相談したときに「やめたほうがいいよ」って言われても、「いや、僕はそうは思わない」って言って突き進んで、失敗して、凹む。そのとき初めて「あーやっぱりそうなのかー」って気づく自分がいる。

でも、それは決して無駄なことじゃなくて、そうやって、人は知ってるのにバカみたいに何回も何回も過ちを繰り返しながら、いつか、そうじゃない未来があることを証明してみたい。バカを突き進んだ先にある未来を。

問題は、過ちを犯すか犯さないかではなく、自分で決断して進むか進まないかだと思うから。自分で決めて自分で責任を負うなら、間違いくらいいいじゃないか。迷っていることのほうが問題だよ。って僕は思うのだ。

「じゃあ相談するなよ」と言われない程度に、バカを進んでいこうと思う今日この頃なのでした。
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