2012年1月15日日曜日

涙を流したのは、ばあちゃんが死んだからではなく、母が死ぬと知ったからだった

「ばあちゃんが亡くなったんよ」

そう母さんが言ったのは、昨日の夜だった。


しばらく母親と話した。そしたら、涙が流れてきた。たくさんたくさん流れてきた。それはばあちゃんが死んだからではなく、母もいつか死ぬんだなと知ったからだった。死という現実より、死ぬかもしれないという可能性の方が、僕にはとても悲しいことだった。
こうやって電話してる声をいつか聞けなくなり、実家に帰っても母さんの顔を見れなくなる時がいつか来る。そういう未来が必ず来るんだと宣告された気がした。

僕ももうそんな歳なのだ。今まで、周りの人が死ぬことがなかったから、ずっと誰かの死について実感を持つことはなかったけれど、もうそんな歳なのだ。
たくさんの人と出逢ったから、いつかたくさんの死を経験するんだろう。一緒にいた時間が長いほど、一緒に笑った時間が多いほど、その人の死は自分に重く重くのしかかってくるだろう。
だから、もっと人と一緒にいようと思った。その人が死んだ時、たくさんたくさん泣けるように、一緒にいようと思った。それは辛く悲しいことなのかもしれないけれど、そうしたいと僕は思った。

2012年1月4日水曜日

きっとだれもが足りない何かを願い今を生きてるんだ


「息をするように数学をしなさい」


大学院時代に数学書を読んでいたら見つけた言葉でした。
7年間、大学と大学院で数学と物理をやり続けた結果、僕には息をするように数学をずっと考え続けることができないなと思い、数学者の道を諦めました。

24時間ずっとずっとそのことを考えて生きている人に、僕は敵わないと思うのです。
考えなきゃとか、考えたいとかそういう「意識」の上での行動より、気づいたら考えちゃってたっていう「無意識」の上での行動がどれだけ強いか僕は知っています。
だから、僕も知らず知らずのうちに考えてしまうことを、ずっとずっと考え続けていい環境に自分を放り込みたいなって思いました。


その反面、親のこととか、ばあちゃんのこととか、好きな人のこととか、友だちのこととか。好き勝手だけじゃダメなんだよっていさめる自分もいます。大切にすべき人をちゃんと大切にしてるのか、自分の目線だけでもう考えるのはやめなさいって。


幼い自分は、理想とはずっとずっと遠くて、でも、そんな自分を好きな自分がいて、もがいている日々が続きます。それでも、

いけないことをした時は怒ってくれる人がいて、
悲しい時は一緒に涙を流してくれる人がいて、
辛い時は黙って話を聞いてくれる人がいて、
楽しい時は一緒に笑ってくれる人がいる。

そのことを、忘れず、20代最後の1年を過ごしていきたいなと思います。



今年もよろしゅうおねがいします。