2011年9月7日水曜日

きっとぬりすぎた色って 白に戻れないけど それでいい 新しい色で明日を描こう

アイデアが生まれる瞬間が「個」あると思うのか「場」にあると思うのか
それは、とても大きな違いだと思った。

たぶん今世界で2番目くらいに面白いアイデアの「場」を作れる人の隣にいながら、そんなことを思った。
そして僕は、「場」にあると思っていない。
厳密に言うと、どっちにもあるんだろうけど、「場」の中で見つけるのが
得意ではないから、「個」の中で必死に見つけようとしているのだと思う。
その方が自分の哲学にも合うから。

いつもその人に会いに行くときは僕は必ず何かを確かめに行ってるような気がする。今日はきっとそんなことを確かめに行ったんだと思う。

「場」の力を知っている。いやというほどその力の強さを感じている。
だからいつもそのことをうらやましく思う。
そういう場を作れる人を。
そういう場があるということを。

でもさ、ないものねだりしても何も生まれはしない。
自分に合った方法でしかひとは続けていけない。
だったら、僕は「個」の力で勝負してやろうと思うのだ。
世界には「個」の力でそれを実現できてしまう人がいるから。

問題は「個」にあるのか「場」あるのかではなく、
自分はどちらでアイデアを生み出すのが得意なのかということと、
いかにして両方をうまく取り入れていくかなのだ。
どちらにしたって困難さはさほど変わらない。
それは数学における無限に似てる気がする。

数学の中に出てくる無限。
それは時に理解し難く、時に不思議を連れてくる。
だから、僕らを惑わせる。
そこで数学では、無限を押し込める。
公理という名の器の中に押し込めて、
あたかも無限なんてのがなかったかのように振舞う。
すると不思議なことに、途中に出てくる問題はいとも簡単に解けてしまうのだ。

さて、じゃあそれで数学が簡単になったのかというとそうでもない。
今度は、押し込められた器を理解することが大変になる。
無限は押し込められただけで、消えてはいないから。
いつかどこかで人は無限の困難さにぶち当たるのだ。

それとおんなじなのだ。
「個」だろうと「場」だろうと押し込められた難しさは変わらない。
いいアイデアを思いつこうと思ったらそれなりに大変なのだ。
いとも簡単にアイデアを出してるようでいて、そこにはとても繊細な
経験的な技術が隠れているのだと思う。

じゃあそれをどうやってるのかって。言葉で説明しろと言われたら
案外できるとおもう。
それくらいにちゃんと観察はしている。
でも、実際にそれを実行できない。

そんなもんなのだ。
ぼくのこころはもうまっ白にはならない。
たくさんいろんな色で塗ってきた。
それをわざわざ消そうとする必要なんてないのだ。
自分の色を大切にしながら、新しい色を足していけばいい。

間違った色も
にじんでしまった色も
すべてぼくの色だから

何かに勝つのではなく
誰かに追いつくためでもなく
「それおもろいな」と驚かせるために
アイデアの恩返しはアイデアでしかできないから

驚かせたなら驚かせ返してやろうと僕はいつだって思ってるんだと思う。



あー今日もいらんことかいた。
てゆーかなんで会いに行ったか今頃思い出した。
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