2011年7月13日水曜日

この怒りを合理的に解決してみる

15時20分 東西線@中野の車両に忘れ物をした。
15時21分 気づいて駅員さんに「さっきの電車に忘れ物しました」と伝えた。
15時21分 じゃあ、夕方になったらここに電話してと紙を渡された。
15時21分 何その対応?と思いつつ、急いでいたのでオフィスに行った。
15時30分 とりあえず電話してみるものの「夕方になるまで登録できません」と断られる。
19時58分 メトロの忘れ物取り扱いセンターに電話するも見つからず。
20時00分 JRの忘れ物取り扱いセンターに電話するも見つからず。
20時03分 ネットからメトロの忘れ物登録を終える。
21時56分 JR中野駅の事務室にて忘れ物を登録する。


と、えらく客観的に書きました。えぇ、私は怒っているのでございます。JRの駅員のホスピタリティのなさに。
三鷹で止まるのだから、捜索してくれればいいのにそれすらしてくれず、電話しても見つからず、登録しに行ったら電話と名前を聞かれただけ。それ、もう電話でいいましたやん。
バカじゃないの?って本気で思う。誰か一人がちょっと気を利かせればええだけやん。。。

しかし「パカ」が本当に悪いことなのか、一時の感情で「パカ」と決めつけるのはどうか。立ち止まって考えてみる。
そもそも「パカ」はバカなのか
ここでもっとも問題とすべきなのは、バカってなんなのよ?ってことである。
今回の場合は「目の前のお客さんのことも考えず、マニュアル通りにこなす人」なのであろう。
それが果たしてバカなことなのかちょっと検証してみようじゃないか。
「パカ」は経済効率がいい
そもそも、JRの主経済活動は「輸送」である。テナント収入とかあれど、70%の売上は「輸送」(2010年度の決算短信より)だから、駅員は輸送を滞りなくすすめるために存在している。それが彼らのお仕事なのだ。

一円にもならない忘れもの探しのために時間なんて使われたら、給料泥棒なのだ。「パカ」は任せた仕事だけしてればいい。費用対効果の視点で見れば、忘れものなんてそれなりに短時間であしらうのがもっとも効率的なのだ。

分かってるじゃないか「パカ」
「パカ」がいなければ世界は回らない
もしこの世の中から「パカ」が消えて「自分で全部考える人」だらけになったらどうだろう。高校生が「虚数は本当に存在するのか」を本気で疑問に思って、先生に尋ねたら、先生はきっと応えられないだろう。そう、世界には考えずに鵜呑みにしたほうがいいときもあるのだ。いや、鵜呑みにしてもらわないと困るのだ。

だって、「自分はなんのために働いているのだろう」とか考えるやつばかりになったら、この日本からルーティンワーカーがいなくなってしまうじゃないか。そうなったら、コンビニも流通も工場もきっと潰れてしまう。

だから、世の中には仕組みを考える人と、その仕組みをひたすら回す人の2種類がすくなくともいないと困るのだ。

必要じゃないか「パカ」
まとめ
まったくもって、世界は「パカ」のおかげで回っている。だから、「パカ」はバカじゃない。むしろ天才。。。

と、まあここまで考えれば、彼らのしていることにも合理的な納得がいったので、怒りは多少落ち着くのでした。ま、忘れた自分が悪いんですけどね。(←ここ重要)
(バカバカいうとトゲがたつので、実はバカとは言ってません。パカです。ぱか。)
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